キンモクセイの思い出

 正門を入ると、サルスベリの奥にキンモクセイ(金木犀)があります。日頃は忘れられがちな木ですが、花が咲くこの頃、とても良い香りがし、「あ~、ここにキンモクセイがあったのか・・・」と気づかされます。
 この時期になると、私は保育者になりたての頃を思い出します。それはちょっと苦く、そして情けない思い出です。
 今から40数年前、私は千葉県内の幼稚園で初めてクラス担任になりました。それ以前も別の幼稚園・保育所に勤務していましたが、クラスを持つことはできませんでした。
 担当したクラスは2年保育4歳児42名。ちなみに、この頃はまだ4歳児入園、つまり2年保育が主流でした。また40名超のクラスも珍しくありませんでした。
 このクラスにAちゃんという、おとなしく、あまり目立たない女の子がいました。ただ、入園当初はもちろんのこと、1学期、そして2学期明けも手を煩わせることはなく、私も特に気にしていませんでした。
 そんなAちゃんが、一人でキンモクセイの花をひろっている姿を見かけました。
 「いい匂いだよね。たくさん集めてね!」
 私がそう声をかけると、Aちゃんが「お母さんに会いたい」とつぶやきました。思わず「エッ?」と聞き返すと、Aちゃんは「お家に帰りたいの・・・」とシクシクと泣きながら、訴えてきました。
 私としては青天の霹靂。
 “どうして今頃・・・”
 “今まで、一度もそんなこと言わなかったじゃない・・・“
 “園に慣れていたんじゃないの・・・”
 正直、かなり戸惑いました。
 でも、Aちゃんを慰めるうち、今まで一対一で関わってこなかったことに気づきました。だからこそ、彼女の本当の気持ちにも気づいてあげられなかったわけです。本当に申し訳ないと思うとともに、いかに保育者として未熟であるか、ということにも気づかされました。
 思えば、関わりやすい子、手を煩わせる子への対応ばかりで、それ以外の子どもへの関わりは、二の次三の次になっていました。言わば「目立たない子=問題のない子=だから進んで関わる必要なし」と考えていたわけです。本当に恥ずかしい話です。Aちゃんは「それではダメだよ」と気づかせてくれたわけです。キンモクセイの香りがただよう頃になると、そんなAちゃんを思い出すのです。Aちゃんの姿とキンモクセイが重なっている、と言えるかもしれません。
 その後、Aちゃんとは改めて個別的な対応を通して、信頼関係を築いていきました。5歳児に進級する頃には友だちもでき、私に軽口を言ってくるようにもなりました。
 問題が生じてから対応するのではなく、日頃から子どもの内面に寄り添うことを大切にすべき、という保育者の基本姿勢を学ばせてもらった体験のひとつでした。
2023年10月13日